お節介焼きの行政書士と不良少女が愛を育む恋愛ストーリー

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祐樹と理沙

第四話:疑惑 その1

「ただいま帰りました……」
 疲れきっておぼつかない足取りで、祐樹はようやく事務所に戻ってきた。時計はもう午後九時を回っていた。この日は、法務局に行ったりクライアントに会いに行ったりで外回りばかりしていて、ほとんど事務所にいなかった。もうもうクタクタだ。
 幸い、今日のところは、こなさなくちゃならない仕事も、もう無い。報告といくつかの書類を提出したら、あとは帰ってのんびりと休むだけだ。
 祐樹は競技場に入ってきたマラソンランナーのような気持ちで、今日は一度も腰を下ろしていない愛席に向かう。そのとき。
「広橋くん」
 事務所奥にある所長室のドアが開き、所長が出てきて呼び止めた。祐樹はギクリと立ち止まる。若い女性所員などは「渋いダンディボイス」と呼ぶ所長の声が、祐樹にはときどき悪魔の声のように聞こえることがある。
 だが、その悪魔の声は意外なことを言い出した。
「一日中、外回りで大変だったな。どうだ、何か食べに行かないか」
 祐樹は目を瞬く。所長と食事を同席したことは何度もあるが、いつも他の所員も一緒だった。祐樹一人が誘われたことは、これが初めてだ。
「申し訳ないですが、外で軽く済ませてきましたんで」
「そうか。なら、お茶くらいはつきあってくれ。少し話があるからな」
「はあ、わかりました」
 祐樹は返事をしながら、心の中で思った。やっぱり所長は悪魔だ。
 有能ではあるが、少しばかり人使いの荒い所長の「話」といえば、仕事の話に決まっている。疲れきっている人間に、所長はさらに仕事を押し付けようとしているのだ。
 肩を落として所長の後に従いながら、事務所を出る間際に同僚たちを振り返ったとき、彼らは一様に力の無い笑みを浮かべていた。彼らもおそらくは祐樹と同じ結論に達していたのだろう、その顔には「お気の毒」と書かれていた。
 祐樹が所長に連れられてやってきたのは、近くの喫茶店だった。所長は店に入ると、席を案内しようとする店員を押しとどめて店内を見回し、隅のテーブル席に座っていた小太りの中年男に気がついて、そのテーブルに歩み寄った。
 小さく手を上げて見せたその中年男は、祐樹がよく知っていた男だった。島崎という、捜査三課に勤める刑事だ。法律事務所ともなれば警察の人間と無関係ではいられず、中でも島崎は何かと縁がある顔なじみだ。
「待たせたね、島崎さん」
 所長は、島崎の向かいの席の奥に祐樹を押し込んで、自らはその隣に座った。島崎は祐樹に軽く笑みを見せる。
「よっ、久しぶりだな」
「どうも、こんばんは」
 祐樹は笑みを見せて挨拶したが、どうも話の流れが見えない。どうやら島崎が所長と祐樹を待っていたのは確かなようで、所長が祐樹を食事に誘ったのは口実に過ぎないようだが、他にも所員が残っているにも関わらず所長が祐樹に真っ先に声をかけたところを見ると、この話は祐樹でなければならない理由があるようだ。
 どうも、仕事の話ではなさそうな雰囲気だが、かといって、祐樹には刑事と面と向かって話をしなければならないことなど、当然ながら身に覚えが無い。
 祐樹が狐につままれたような顔をしていたからか、島崎は所長に視線を向けた。所長は頷きつつも、店員に三人分のコーヒーを注文し、それがテーブルに揃えられたところでようやく口を開いた。
「広橋くん。島崎さんは君に話があるそうだ。とりあえず、飲んでくれ」
「はあ、どうも」
 あいまいな返事をして、祐樹はとりあえずコーヒーに口をつける。島崎も同じように一口すすったが、所長はカップに手もつけなかった。
「広橋くん。おまえさんは疲れているようだし、俺も長い話は嫌いだ。単刀直入に言うから、驚くなよ」
「なんです?」
 島崎はわずかに身を乗り出し、声を低めた。
「おまえさんに、児童買春の疑いがある」
「はあっ?」
 祐樹はびっくりして、思わず高い声をあげてしまった。所長が少し嫌な顔をし、島崎は手振りで声を低めるように示す。
「まあ、そんなわけで、おまえさんにちょいと話を聞きたいわけだ。時間もらえるか?」
「そりゃ、もちろん」
 祐樹は大きく頷いた。
 なんだか、意外な話だ。ほんの一瞬、理沙の顔が脳裏をよぎったが、祐樹は理沙を心から愛しているし、同様に理沙からも愛されている自信があった。断じて、理沙との関係は買春などという不埒なものではない。児童買春は立派な犯罪でもあり、疑いを晴らすためなら島崎との対話を拒む理由は無い。
 だが祐樹は、ふとおかしなことに気がついた。島崎が所属する刑事部捜査三課は、スリや空き巣などの窃盗犯罪が専門だ。売春などの風俗問題は生活安全部の管轄で、課どころか部まで違う。島崎は完全な門外漢のはずだ。
「島崎さん。こんな時期に異動があったんですか?」
 祐樹が言うと、島崎は口元に笑みを浮かべた。
「やっぱり、そこに気がついたか」
「そりゃ気づきますよ。僕だって法律家のはしくれなんですから」
「そいつは失礼した。実を言うとな、おまえさんの捜査はもう終わった。つい今日の話だ。判定は、シロだよ」
 何も身に覚えが無いのだから当然の話だが、それでも祐樹は思わず安堵の息をついてしまった。逮捕され、有罪判決を受けてもなお、冤罪であると訴え続ける受刑者の例を、祐樹はいくつも知っている。
「捜査にとっかかりながら、結局は本人に事情を聞くまでもなく容疑が晴れたんだから、お粗末としか言いようがないがね。おまえさんとはまったく知らん仲じゃないから、とりあえずおまえさんに報告しておこうと思ってな」
「はあ。そりゃどうも」
 祐樹は気の抜けた返事をした。まったく、感謝する気にもなれなかった。
「ただな、捜査の過程で、確かにおまえさんの近辺に一人の未成年の少女が存在してることがわかってる。名前は」
 島崎はそこで言葉を切って、祐樹を見る。祐樹はため息をついて、半ばあきらめの境地で口を開いた。島崎に隠し事をするのは難しく、島崎もすでに知っているだろう。
「虹村理沙、ですね」
「そうだ。虹村企画の社長令嬢だそうだな。捜査班は、この娘を相手におまえさんが買春してるんじゃないかと踏んでいたようだ。さっき言ったように、シロと断定されたがね」
 島崎は唇を湿らせる程度にコーヒーをすすり、テーブルに肘をついて身を乗り出した。
「シロとは断定されたが、おまえさん自身が言ったように、おまえさんは法律家と呼ばれる人間だ。そういう人間にこんな疑惑がかかったこと自体、好ましくないと考える人間もいる」
「たとえば、私だがな」
 所長が横から口を挟む。口調は冗談のようだったが、祐樹は全く笑えずにため息だけを吐き出した。島崎が笑ってくれたおかげで、悪い雰囲気にはならなかったが。
「広橋くん。君なら、男の周りを中学生の娘がうろちょろしていれば、良くない噂を招くぐらいは予想できただろう。そのあたりの事情を、少し説明してくれないか?話を聞かせてくれれば、私も島崎さんも納得できるだろうからな」
 所長はそう言い、少し意地の悪い笑みを見せた。
「もっとも、島崎さんも正式な捜査ではないから、強制はできないがね」
 祐樹は再びため息を吐き出した。人を壁際の席に押し込み、自分は通路側の席を占めておいてよく言うもんだ。説明しなきゃ帰らせない雰囲気がプンプンしてるじゃないか。
「いいですよ。良心に背くようなことはしてないですからね」
 良心というところを「法」に置き換えたらどうなるか、などという余計なことを考えながら、祐樹は理沙が家出をしていたことなどを差し障りのない範囲で所長と島崎に語って聞かせた。もちろん、二人が付き合っていて肉体関係もある、なんてことは口が裂けてもいえなかったが。
「ふむ、なるほどな」
 島崎が腕を組んで頷く。
「おまえさんが不良少女の矯正に尽力していたとは知らなかったな」
「そんな大げさなものじゃないですよ。危なっかしくて見てられなかっただけで」
「とはいえ、おまえさんが家出娘を改心させたのは事実だろう」
 それはどうかな、と思いつつも、祐樹は口を挟まなかった。この話題はあんまり深入りするとまずい。
「おまえさんのやったことは立派だ。だがな、おまえさんは善意のつもりでも、周りから見ている人間もそう思っているとは限らない。今回の件も、おそらくは誤解から端を発しているんだろう。どこで誰が見ているかわからんからな。行動を慎めとは言えんが、些細なことが誤解を招くこともありえると自覚しておいたほうがいいぞ」
「はい。肝に銘じておきます」
 祐樹は頷いたものの、他人の妙な誤解にまでは気を回していられないというのが本音だった。誰にでも譲れない一線というものはあるはずで、祐樹にとってのそれは、紛れも無く理沙なのだから。


「あぁ、疲れた……」
 島崎や所長のとの話は、仕事以上に祐樹を気疲れさせた。かろうじて居眠りもせず、愛車でアパートまでたどり着くと、大きく伸びをして二階の自分の部屋の窓を見上げた。
 もちろん、部屋は真っ暗だ。自分のいない間にも理沙はよく部屋に出入りしているようだが、祐樹に会えなくても門限にあわせてきちんと帰っている。おそらく理沙は今日もここにやってきて、そして今日も祐樹の帰りの遅さに愚痴をこぼして帰っていたのだろう。
 若さのかけらも無い足取りで階段を上り、部屋のドアに鍵を差し込む。そして真っ暗な玄関に入ってドアを閉じると、スイッチに触れてもいないのに急に部屋の蛍光灯が点灯した。
「うわっ?」
 驚きのあまりに思わず後ずさりし、祐樹は思い切り背中をドアにぶつけてしまった。スチール製のドアが派手な音を立てる。
「何やってんだよ、バカ」
 部屋の中から、仏頂面の理沙が顔を出した。
「り、理沙? いたのか。驚かせないでよ」
 理沙はわざとらしく鼻を鳴らし、くるりと背を向けてまた部屋に戻っていった。祐樹は靴を脱ぎながら眉をひそめる。どうやら、ずいぶんとご機嫌斜めのようだ。
「それにしても、どうしたの。ずっと真っ暗な部屋にいたのかい?」
 理沙はベッドに音を立てて寝転がり、苛立った視線を祐樹に向けた。
「だってさ、祐樹がまだ仕事から帰ってないのにこの部屋の電気がついてたら、ここには祐樹以外にも誰かが出入りしてるってことになるじゃん」
「うん?」
「それが私みたいな子供だったりしたら、祐樹がまずいんじゃないの。ジドウカイシュンがどうこうってさ」
 祐樹はネクタイを外そうとする手を止めて理沙を見た。理沙は途端に視線をそらす。
「そっか……理沙のところにも警察が行ったんだ」
「も、ってことは、祐樹んとこにも警察来たんだ?」
「まあね。といっても職務質問とかじゃなくて、容疑が晴れたことを教えに来てくれたんだけどね。買春っていう話は、警察が誤解したことだよ」
「じゃあ、捕まったりしないんだよね?」
「うん。買春なんてしてないから、当然といえば当然だよ」
「だったらさ!」
 理沙は体を起こして急に声を荒げた。
「悪いことなんてしてないのに、なんでいちいち警察がでしゃぱってくるんだよ。私と祐樹は普通の恋人みたいに付き合ってるだけじゃん」
「理沙……」
「わかってるよ。私が子供だからって言いたいんだろ。でも、それが悪いのかよ。大人と子供が付き合ったら悪いっていう法律でもあるのかよっ」
 理沙は一息に怒鳴り散らし、そして興奮のあまりに息を乱して黙り込む。
 祐樹は、理沙の痛々しさに顔をゆがめた。理沙がここに居候していたときにも、祐樹に関して悪い噂が立ち、理沙がそれを気にしたことがあった。彼女なりに、激しいジレンマがあるに違いない。
 祐樹は理沙の隣に腰を下ろした。
「君の言う通り、確かに大人と子供が付き合っちゃいけないなんて法律はないんだけどさ。でも、大人と子供が肉体関係があると話は別なんだよね」
「それは私も知ってるよ。青少年なんとかってやつだろ」
「そう、青少年保護条例ってやつ。それと、強姦罪」
「強姦!?」
 理沙はびっくりして目を丸くする。
「強姦って、無理やり犯しちゃうことだろ。なんで私と祐樹がエッチすると強姦になっちゃうんだよ」
「法律ではね、エッチした相手が十三歳未満の場合、同意の上でのエッチでも強姦罪が適用されちゃうんだ。おかしな話だけどね」
 理沙は表情を曇らせる。理沙は、十三回目となる今年の誕生日をまだ迎えていないから、それまではセックスするたびに、祐樹に強姦罪が適用される可能性があるということだ。
「な、なんでそんなこと言うんだよ。そんなこと聞かされたら……これから祐樹とエッチしづらくなるじゃん」
「理沙は知らなかった?」
「知るわけないだろ。知ってたら……」
 理沙は口をつぐむ。理沙が祐樹と初めてセックスをしたとき、誘ったのは理沙の方だ。そんなことを知ってたら、きっと誘ったりはしなかったのに。
 不安におののく理沙を、祐樹は優しく抱きしめた。
「理沙は知らなかったかもしれないけど、僕は知ってたよ。法律には詳しいからね」
 理沙が目を瞬かせて祐樹を見つめる。
「ねえ、理沙。僕は理沙のことが好きだから、できるだけ一緒にいたいと思うし、こうして一緒にいられれば嬉しいと思うよ。理沙はそう思わない?」
「思う」
「でしょ? で、そういう好きな相手がいれば、その人とキスしたり、エッチしたいなぁって思っちゃうことも、当然とまでは言わないにしても、別におかしなことじゃないんだよね。だから、僕は理沙とキスするし、エッチもする」
「……犯罪になるってわかってても?」
「わかっててもね」
 祐樹は理沙に正面を向かせて、唇を重ねた。唇を触れ合わせるだけの軽いキスだったが、あまりの気持ちよさと切なさに、理沙は震えるような吐息を漏らした。
「理沙。法律事務所に勤める僕がこんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、自分の気持ちに素直になろうと思ったら、堅苦しい法律のことになんて気を回しちゃいられないよ。やっぱり僕は、理沙のことが好きだからね」
「……私も好きだよ、祐樹」
 二人は再び唇を重ねた。今度は舌を絡めあわせ、お互いを貪り合う激しいキスだった。
 キスの味とともにたっぷりと幸福感を味わった二人は、もどかしく服を脱ぎ捨ててベッドに倒れこんだ。

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