お節介焼きの行政書士と不良少女が愛を育む恋愛ストーリー

目次

  1. Home >
  2. 小説 >
  3. 祐樹と理沙 >
  4. 第三話:後悔 その1

祐樹と理沙

第三話:後悔 その1

「ふう」
 ひとしきりテレビを楽しんだ理沙は、テレビのスイッチを消してリモコンを放り出すと、勢いよくベッドに寝転がった。天井からは、何の変哲も無い丸型の蛍光灯がぶら下がっている。視線を巡らせると、冷蔵庫の脇にビールの空き缶が数本ほど転がっている。首をひねるようにして部屋の奥の窓際に目を向けると、相変わらず本と書類が散らかった筆記机が見えた。すっかり見慣れた、祐樹の部屋だ。
 理沙は祐樹から部屋の鍵をもらって以来、用事がない日はほぼ毎日のペースで祐樹の部屋に通っている。祐樹は帰りが遅いことも珍しくないから、アポ無しで行くと彼に会えないことも少なくないが、そういうときはここで勝手にのんびりと寛いでから自宅に帰ることにしている。「第二の我が家」という感じだ。
 この日は、一応祐樹と約束がある。一緒に夕食をする予定で、どこに連れていってくれるのだろうと期待して待っていた。だが、約束は七時なのに、時計はそろそろ八時を過ぎようとしており、しかも未だに祐樹は帰ってこない。
「遅いーっ!」
 理沙は伸びをしながら思いきり声を張り上げる。このアパートは全て防音壁になっているので、声が外に漏れることはない。それに乗じて、理沙は大声であらん限りの罵声を吐き出してストレスを発散する。すると、テーブルに置いといた携帯電話が、怒鳴り散らす理沙に抗議の声を上げるように鳴り出した。ストレス発散を一時停止して携帯電話のモニタを見ると、祐樹の携帯電話からだった。
「……もしもし」
『あ、もしもし。僕だけど』
「何やってんだよ、遅すぎるって。今どこ?」
『んーと、事務所』
「はー? これから帰んの? 早くしてよ、腹すかしてるんだからさ」
『う、うん。それが、実はさ……』
 電話の向こうで祐樹が言いよどむ。理沙は非常に嫌な予感がした。
「なんだよ」
『いや、それがさ。どうしても外せない仕事が入っちゃって、もうしばらく帰れそうにないんだよね。ごめん、悪いけど、今日の約束は無かったことに……』
「ふざけんなっ!」
 キレた。人を一時間も待たせておいて「帰れそうにない」とは、いいかげんにもほどがある。
「こっちは腹すかして待ってたんだぞ! 人を待たせておいて、約束は無かったことにしようで話が済むかっ!」
『ほんっとにごめん、理沙。僕もなんとか仕事を終わらせようと……』
「言い訳するなっ。だいたい、七時の約束のキャンセルを八時に入れるってのはおかしくないか!? 普段は偉そうなこと言ってるくせに、子どもだって知ってる常識がわかってないじゃんかよ!」
『……うん、確かにそれは理沙の言う通りだね。ほんとに重ね重ねごめん』
「あんたの言葉なんて信用できないよ。口だけなら何とでも言えるからな。ほんとに悪いと思ってるなら、今すぐに帰ってこい!」
 一息に怒鳴りつけて、理沙は荒い息をつく。電話の向こうの祐樹も絶句し、しばらく気まずい沈黙が流れたが、やがて祐樹からおずおずと口を開いた。
『……わかったよ、理沙。帰らせてくれるよう、所長に言ってみるから』
 譲歩するような、理沙をなだめるような、それでいてすっかり困り果てたような、そんな祐樹の声だった。頼りなげな祐樹の声に、理沙は興奮を冷ました。ひょっとしたら、自分はすごく無理なことを強制していのるだろうか。すごく理不尽なことを言って祐樹を困らせているのだろうか。
『聞いてる? すぐに帰るから、もう少し待っててくれるかい?』
「……いいよ、帰ってこなくて」
 理沙は感情を抑えた声でそう言った。意外だったのか、祐樹の返事が返ってくるのに間があった。
『理沙……すぐ帰るからさ、そう拗ねないでよ』
「拗ねてなんかないって。外せない仕事なんでしょ。済ませて来ちゃいなよ。こっちはいいからさ」
『……?』
「今日の分は貸しにしてやるって言ってんの。だから、無理して帰ってこなくていいよ。無茶言ってゴメン」
 理沙は祐樹の返事を待たずに電話を切り、小さく息をついた。祐樹と会いたいのはやまやまだが、祐樹を困らせるのは嫌だった。週末になればゆっくり会えるから、そのときにたっぷりと遊んでもらおう。
 それにしても、男ってのは何でこんなに仕事に一生懸命になれるんだろう。祐樹は残業させられても愚痴一つこぼさないし、理沙の父も典型的な仕事人間で、家庭を顧みない人だった。男とはそういう生き物なのだろうか。それとも、理沙の周りにたまたまそういう男が集まっただけなのか。
 理沙は鼻を鳴らして起き上がると、冷凍庫にあったピザを勝手にいただくことにした。祐樹がビールのツマミとして買っておいたものだが、さすがにそこまで気を回しちゃいられない。こっちは腹がへっているんだ。
 だが、理沙はピザを電子レンジで温めて食べ始めたものの、どうもおいしくない。ピザがマズいというわけじゃなくて、気分的な問題だ。
 理由はわかってる。祐樹がいないからだ。この部屋はすっかり理沙のお気に入りになっていたが、祐樹がいなければその魅力も半減だ。いつ帰ってくるかわからない祐樹の部屋で、一人きりで食事をしたっておいしいはずがない。
「帰ろ」
 余ったピザを冷蔵庫に放りこみ、理沙は祐樹のアパートを出た。
 理沙の家は、祐樹のアパートとは隣町になるが、何十キロも離れているわけではないので、自転車を三十分ほど走らせれば着く。祐樹と約束している門限の九時前には家に到着することができた。考えてみれば、家の門限を、本来なら部外者であるはずの祐樹と取り決めているというのもおかしな話だけど、理沙は忠実にこの門限を守っている。
「ただいま」
 自転車をガレージに止めて玄関に入った理沙は、黒の革靴が隅に揃えられて並んでいるのに気がついた。
「お帰りなさいませ」
 家政婦が玄関先まで出てきて出迎える。
「ただいま。父さん、帰ってるの?」
「はい、少し前に。食堂でお食事をなさってます」
「ふーん」
 最近の父は変わった。以前の父は典型的な会社人間で、夜は残業か付き合いの食事や飲みばかりで、自宅で夕食を取ることなどほとんどなかったのに、最近はよく自宅で食事をするようになった。門限ギリギリまでブラブラしている理沙より帰りが早いことも、珍しくない。
 食堂を覗くと、父が一人で静かに夕食を食べていた。理沙に気づいて顔を上げる。
「お帰り、理沙」
「ただいま」
「夕食はどうだ?」
「いらない。食べてきた」
「そうか」
 しらっとした会話を交わし、理沙は食堂を離れようとした。別に父と仲が悪いわけではないが、あまり気が合わないのも確かで、父と心弾む会話なんてしたことない。
 だが、ふと理沙は立ち止まる。父が家で食事をするようになったとはいっても、理沙が一緒に食卓を囲んだことはほとんどない。理沙はたいてい祐樹の部屋に入り浸っているし、たまに家にいたとしても、いつ帰ってくるかわからない父など待たずに先に夕食を食べていることが多いからだ。通いの家政婦は自分の家で食事をするから、いつも父は一人ということだ。ひょっとしたら、さっき祐樹の部屋で理沙が感じた一人でいる寂しさを、父も感じているのだろうか。
 理沙はクルリと向き直り、再び食堂に入っていった。家政婦と父がそろって視線を向ける。
「どうした、理沙?」
「軽くしか食べてこなかったから、お腹すいた。お茶漬けが食べたい」
「そうか」
 父が微笑む。素早く台所に飛び込んでいった家政婦が、びっくりするほどの早さでお茶漬けを用意して持ってきた。理沙は席につき、立ち上るお茶の香りに思わず頬をほころばせながら、一気に口の中にかきこんだ。
「あちちっ」
「ほら、理沙。ゆっくり食べないとヤケドするぞ」
「う、うん」
 理沙は頷き、アツアツのお茶漬けに何度も息を吹きかけながら、そろりそろりとすすりこんでいく。
 理沙がお茶漬けをきれいにたいらげた頃、父も夕食を終え、家政婦が食器を台所に下げていく。会話はなかったが、少なくとも父と同じ食卓を囲んだことは確かで、同じテーブルに一人でも同席者がいると、なかなか気分は違うものだ。
 しかし食べ終わってみると、会話の無い食卓の席に着いているのも退屈で、理沙はそろそろ部屋に戻ろうかと時計に目を向ける。そのとき、食事の間ずっと沈黙していた父が口を開いた。
「最近は決まった時間に帰ってくるようになったな、理沙」
「ん?」
「以前だったら、何時頃に帰ってくるのか、そもそもここに帰ってきてくれるのかと心配だったが、今なら安心して帰りを待っていられる」
 理沙は不愉快になって席を立った。いつになったら帰ってくるのかわからない生活を続けていたのは、父だって同じだ。誉めてるのかそうじゃないのか知らないが、今さらそんなことを言われたくない。
「好きな人ができたようだな、理沙」
 突然の父の言葉に、理沙は思わず立ち尽くした。そんな娘に、父は笑みを含んだ声を向ける。
「こう見えても父親だからな、そのくらいのことはわかる」
「……だからなんだよ。そんなの、父さんに関係ないじゃん」
「関係ないことはないだろう。いや、言っておくが、父さんは何もおまえを叱っているわけじゃないぞ。恋愛は大いに結構だと思っている。それを確かめたかっただけだ」
「確かめてどうすんの?」
「どうもしない。ただ、おまえが家出から帰ってきてくれたのも、決まった時間に帰ってきてくれるようになったのも、その人のおかげじゃないかと思ってな」
「……」
「気が向いたら、今度その人を家に招きなさい。私も一度会ってみたい」
 理沙は返事せずに、逃げるように自室へと戻った。まさか、祐樹の存在が父に気づかれているなんて思わなかった。しかも、家に呼べとは。
 さっきはつい反発してしまったけど、今まで父に迷惑と心配をかけてきたことを思えば、父が祐樹に会いたいというなら、会わせてやったほうがいいのだろうか。祐樹だって、親孝行しろとよく言っている。
 ──祐樹を呼んでみようか。それで父が安心してくれるなら。


「ふう、疲れた」
 十時過ぎになって、ようやく家に帰ってきた祐樹は、脱いだスーツをクローゼットに収めると下着姿のままベッドに横になった。まったく、今日は疲れた。理沙と食事の約束があったから残業を避けるために昼間にたくさん仕事したのに、所長ときたら帰る間際になって新しい仕事を入れるのだから。それは反則だろう。
 そういえば、理沙に電話で一言入れておいたほうがいいかもしれない。最後は妙に物分かりの良さを示した理沙だが、あの理沙があまり物分かりがいいのも、かえって不安になる。しこりが残っているかもしれない。
「ん?」
 机の上にある携帯電話を取ろうとして、祐樹は手を止めた。固定電話の留守録ランプが点灯している。留守中に誰かが電話を寄越したようだ。とりあえず、再生してみる。
『もしもし。私、理沙』
 嫌な予感がする。呪詛の言葉でも吹き込んだのだろうか。
『ちょっと話したいことがあるからさ、帰ってきたら電話してよ。何時になってもいいから。絶対電話しろよ。じゃあね』
 ブツッと再生が止まった。時間は、帰ってくるちょっと前だった。
「ご立腹という感じじゃなかったな」
 祐樹は少し安心しながら、理沙の携帯電話の番号を押す。自宅の電話番号も知っているけど、父親が出てくると嫌なので、祐樹から電話をかけるときはいつも携帯電話のほうにかけている。
『もしもし』
「もしもし。僕だけど」
『祐樹、やっと帰ってきたんだ。お疲れさん』
「えっと、今日はほんとにごめん、理沙。なんとか早く帰りたかったんだけど」
『あー、その話はいいよ。それより、あんたに言っておきたいことがあるんだ』
 理沙の声は、やけに機嫌がよさそうだ。祐樹は眉をひそめる。文句や罵声を浴びせるつもりではなさそうだが、理沙は気分屋だ。何を言い出すかわからない。
「なに?」
『んとさ、祐樹、今度うちに遊びに来なよ』
「え、理沙の家に?」
『今までは私があんたんちに行ってばっかりだったけどさ、たまにはうちにも来て欲しいなって思って』
 なんだか意外な話だ。そんな話、今まで理沙との会話の中で出てきたことが無い。だいたい、理沙は言うまでも無く家族と同居してる。家政婦もいる。そう気安く遊びにいくのは難しい。
「うーん。呼んでくれるのは嬉しいけど、やめといたほうがいいんじゃないかな」
『なんでだよ』
「だってさ、僕がゆっくり時間が取れる日っていったら、土日しかないじゃん。理沙のお父さんとのバッティングを避けるのは、ちょっと難しいと思うよ」
『バカ』
「ば、ばか?」
『避けなくていいんだって。お父さんに会って欲しいんだからさ』
 祐樹は何度も瞬きしながら、理沙の言葉を咀嚼する。オトウサンニアウ?
「えーっ? お父さんに会うって? なんでそんな急な」
『それがさぁ。うちの父さん、私に恋人ができたことに気づいちゃったんだよね。一度、家に呼べって言うからさ』
「き、気づいた? 理沙、認めちゃったの?」
『うん。別に隠すことじゃないし。それに、祐樹が父さんと会えば、私と祐樹は公認されるんだよ』
「お父さんに認められるとは限らないじゃん。男親ってのは、一人娘の恋人なんてそう簡単に受け入れてくれないよ。しかも、こんな年の離れた男だってわかったら、絶対に怒るに決まってるって」
『怒らないよ。それは私が保証する。だからさ……』
 理沙は唐突に言葉を切った。怒ってるのか、それとも何かを考え込んでいるのか、電話越しにはさすがに祐樹にもわからない。その不気味な沈黙を破るように、理沙がとびっきり意地の悪い声を出した。
『そういえば今日、あんたに一つ貸しを作ってあげたよねぇ』
「うっ」
『あれ、返してよ。今すぐに』
 祐樹は絶句する。こんなところで切り札を出されるとは。
「そ、そんなにお父さんと僕を会わせたいの?」
『うん。どうせバレてるんだから』
 祐樹は大きく息をついた。理沙とこれからも交際を続けていくなら、家族への挨拶は絶対に避けられないものだが、その緊張の一瞬がこんなに早くやってくるとは。
「……セッティングは君に任すよ」
『オーケーってことだね。任せてよ。じゃ、また連絡するから。じゃあね』
 向こうから電話が切れた。祐樹は溜め息をついて受話器を置く。付き合いはじめてまだ一ヶ月も経っていないのに、父親と対面させられるとは思ってもみなかった。
「いやなことは先に済ますか」
 そう考えて無理やり納得するしかなかった。
 中学生の一人娘の恋人が、こんなに年の離れた男だと知ったら、おそらく父親は激怒するだろう。ひょっとしたら殴られるかもしれない。ばんそうこうとシップを持参したほうがよさそうだ。

▲PageTop

  1. Home >
  2. 小説 >
  3. 祐樹と理沙 >
  4. 第三話:後悔 その1