差出人不明のチョコレートをきっかけに、中学生の男女の揺れる心情を描く

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  4. その1

Who loves whom?

その1

 ヒロは門の脇にあるドアチャイムのボタンを押すと、待つ間にポケットから二つ折り型の手鏡を取り出して髪型をチェックした。自宅を出てからたかだか三軒隣まで歩いただけなので髪が乱れる暇など無いはずなのだが、念には念を入れる。
 玄関ドアのロックをはずす音がして、ヒロは手鏡をしまって心持ち姿勢を正した。
「おはよー、ヒロ」
 超局所的に突風が発生したんじゃないかと思うほどの勢いでドアが開き、幼なじみのマキが小さく手を上げて姿を現した。
 家にいる家族に行ってきますと元気に声をかけてドアを閉めると、セーラー服を着ていなければ少年と間違われることもある細身の体を弾ませてヒロと肩を並べる。
「んじゃ、行こう」
「あ、うん」
 ヒロは一瞬躊躇する。それを目ざとく見逃さなかったマキは、彼に肩をぶつけるように身を寄せた。
「お姉ちゃんはもう学校に行ったよ」
「え、はやっ」
「残念でした」
 マキは拳でヒロの額を小突くと、彼の背中を押して学校へと歩き出した。
 毎朝幼なじみの二人が肩を並べて登校するのは小学校時代、もっと言えば幼稚園時代からの習慣である。幼稚園時代は近所づきあいとして行っていたこの習慣は、小学校に入ってからは惰性で、高学年になる頃は主にマキの意志で、そして中学校に入った現在は明確にヒロの希望で続けられていた。以前は、時間に限らず生活全般が何かとルーズなヒロをマキが叩き起こす形で続けられていたものが、今ではヒロの方から誘いに来る形に変わっているのは、偏にマキの姉・アキの存在による。
 外見も性格もボーイッシュという言葉そのもののマキとは正反対に、二歳年上のアキは穏やかな性格と容姿で、ヒロにとっては理想的な姉像とも恋人像とも言えた。そのアキに一目会うのが、頑張って早起きしてマキの家に来るモチベーションなのだが、今日はその期待があっさり破れてさすがにヒロは意気消沈してしまった。
「ヒロ、元気ないね」
「理由が聞きたい?」
「全然」
 冗談の成分が全く含まれない口調でマキはショートカットの髪を揺らして首を横に振った。
 ヒロがアキを目当てにしていることは、マキはとっくにお見通しだ。というより、アキに憧れを抱いていることを彼自身が全く隠そうとしていなかった。自分の姉に対して露骨に色気を出すのが常々面白くなく思っていたので、マキは姉が早く学校に行くことを前日から知っていたが、あえて彼には言わなかった。
「お姉ちゃん、なんで早く出かけたと思う?」
 明らかにがっかりしたヒロをおかしく思いながら、マキはヒロにトドメを差す。
「さあ、受験勉強?」
「ハズレ。答えはチョコ」
「チョコって?」
「今の時期にチョコと言えば、バレンタインに決まってるでしょ。チョコを渡すために早く学校に行ったんだよ」
「渡すったって、バレンタインデーは日曜日だぞ」
「そ。今年のバレンタインは日曜日にぶつかっちゃったから、学校でチョコを渡すんなら今日しかチャンスが無いってことよ」
 わずかに首をかしげて考えたヒロだったが、すぐに理解して顔から血の気が引いて立ち尽くした。その青ざめ方は、マキもびっくりするほどだった。
「だ、大丈夫、ヒロ?」
「待った待った。アキさん、学校で誰にチョコ渡すんだよ」
「知らない。好きな人ができたみたいだよ」
「僕というものがありながら? ありえないね、アキさんはそんな浮気性じゃないし」
「浮気も何も、あんた別に付き合ってないじゃん」
 言いながら、マキは囁くように声を潜める。
「昨日、お姉ちゃんチョコ作ってたよ」
「手作りかよ?!」
 長いつきあいということで、毎年ヒロはマキとアキからバレンタインチョコをもらっていたが、今まで手作りチョコをもらった試しはない。
「毎年恒例のことだから多分、ヒロにもチョコをあげるとは思うよ。でも、それはいつも通り買ったやつ。手作りチョコは他の誰かに行くはずだよ」
「いーや、手作りは僕に来るね。間違いない」
「賭ける?」
「いいよ。何を賭ける?」
「負けた方は、一つだけ勝った方の命令を聞く」
「よーし、いいじゃん。絶対に忘れるなよ」
「ヒロの方こそね」
「じゃあ、決まりだな」
 ヒロは右手の小指を立てて見せた。マキは驚いて目を見開く。
「へー、そこまで自信があるんだ?」
「当然」
「なら、ノってあげるよ」
 マキも小指を差し出し、お互いの小指を絡め合わせた。
 子供みたいな事とよく言われるが、絶対に忘れたくない約束の時は必ず指切りをするのが幼い頃からの二人の習慣だ。お互いに一度ずつ、この指切りを交わした約束を破ったことがあり、そのときは泣いて謝るまで本当に絶交されていた。
 お互いに苦い思い出があるため、指切りを交わしたら絶対に約束は守る、それが何があっても決して譲れない二人のルールだった。


 二人が学校に到着するのはいつも早く、たいていどこの教室も多くても数人しかいないことがほとんどだ。なぜそんなに早く登校するのかと言えば、一つはヒロがアキ会いたさに頑張って早起きしてマキの家を訪れるからだ。
 もう一つの大きな理由としては、中学に入学したばかりの頃、二人がいつも一緒に登校してくるのをクラスメートたちによく冷やかされたため、人目を避けるようにわざと登校時間を早めたというのがある。今となっては慣れて級友たちも何も言わなくなったが、一度付いた習慣は払拭しがたく、今でも二人は早め登校が癖になっていた。
 そして、それぞれの理由があるとはいえ、そうまでしても二人別々に登校しようとは夢にも思わないのが二人の今の関係だった。
「そういえば、マキ」
 幼なじみの気安さで軽口を叩き合いながら二人が肩を並べて学校にやってきたときは、いつもの通りにまだ昇降口は閑散としていた。
「今日、うちに夕飯食べに来る?」
「んー、この前もごちそうになったばっかりだからなぁ」
「いいじゃん。アキさん、今日は塾でしょ?」
 マキの両親はともに会社員で、帰りが遅いことが多い。アキがいるときは彼女が夕食を作るのだが、家事はなんでもござれのアキと違いマキの方は料理はさっぱりで、夕方からアキが学習塾に行っているときは、マキは一人でコンビニ弁当などを食べることが多く、それを見かねてヒロの家ではよくマキを夕食に招待している。ヒロとしてはマキだけではなく、アキの予定が空いているときに彼女も揃って招待したいところなのだが、アキは迷惑になるからと言っていつも丁寧に固辞していた。
「コンビニ弁当ばっか食べてると太るよ」
「余計なお世話」
 マキが拳をヒロの頬に軽く当てる。ヒロは殴られたように大げさによろめいた。
「で、どうする?」
「それじゃあ、お邪魔しようかな。ありがと」
「あいよ、帰ったらお袋に言っとく」
 言いながら昇降口の下駄箱の扉を開けたヒロは、そのまま口と体が固まった。先に上履きに履き替えてつま先を床で叩いていたマキは、彼の様子に眉根を寄せた。
「どうしたの? ゴキブリでもいた?」
「もっとスゴイもん」
「えー、自分でなんとかしてよ」
 言いながらも、マキは興味深げな瞳でヒロの下駄箱の中を覗き込んだ。
 上履きとともに中に入っていたのは、だいたい二十センチ角ほどの大きさで、ピンク色の包み紙でラッピングされた小箱だった。今朝、ちょうど二人で話をしていたところでもあるし、時期的にもこの外観からしても考えられるのは一つだけだ。
 マキもヒロとともにあんぐりと口を開けて立ち尽くしていたが、しばらくして我に返ると、首を痛めるんじゃないかと思うほどの勢いでヒロに向き直った。
「ひょっとして、バレンタイ」
「声が大きい」
 半オクターブは声が高くなったマキの口元をヒロが慌てて押さえる。朝が早いせいで周りに人影はなかったが、どこで誰に聞かれるか分かったものではない。
「信じられない。ヒロがチョコもらうなんて」
 ヒロの手を振り払い、それでもさすがに声を落としてマキは目を丸くしながら言った。
「絶対ありえない」
「ありえないってひどいな。現にこうしてプレゼントが入ってるってのに、絶対って何だよ」
 失礼極まりないマキに抗議の声を上げながら、実はヒロも少し信じられない思いだった。ヒロは物心ついた頃から、マキ・アキ姉妹にチョコをもらえるという幸福と、他の女子からは一つももらえないという悲哀を毎年味わい続けている。学校の成績は優秀だし、スポーツもまずまず出来て、容姿も悪くないと思っているのだが、何故か他の女子からは一向に見向きもされなかった。世の中には目が利く女性が少ないらしいと、半ば本気で思っている。
「誰からかな」
「そりゃあ、僕の魅力をわかる女性は世界に一人しかいない」
「……強烈に嫌な予感がするけど、いちおう言ってみて」
「アキさん」
 案の状の答えに、マキは大きな息を吐き出した。
「どういう根拠でお姉ちゃんになるわけ?」
「だってアキさん、僕らより早く学校に来たんだろ? きっと、このためだよ」
「いつも手渡しであげるのに、なんでわざわざ日を早めてまで学校で渡すのよ」
「そりゃあ、今回は手作りの本命チョコだから、こっそりと渡したかったんじゃない?」
 マキは呆れかえって、それ以上追求する気力を失ってしまった。まったく、ヒロのアキラブっぷりには呆れてしまう。
「じゃあ、開けてみようよ」
「やだよ。なんで学校で開けるんだよ。一人でいるときにこっそり開けるに決まってるだろ」
「本当にお姉ちゃんからなら、私にだって見る権利あるでしょ。さっきの賭け、忘れたの?」
「いやだ」
 ヒロは固辞する。せっかくもらったチョコだから大事にしておきたいし、なぜかマキには特に見られたくない。
「うちで開けてから、マキに結果を教えるよ」
「ケチ」
 マキは頬を膨らませ、なお未練がましく下駄箱の中の小箱を見つめる。
 横目でヒロを見て小さく息をつくと、おもむろに下駄箱の中に手を突っ込み、小箱を掴んで一目散に駆け出した。
「えっ?! マキ、おい!」
 ヒロは慌てて上履きに履き替えてマキの後を追った。
 マキは昇降口前の廊下を横断すると、下着が見えそうな勢いでスカートを翻しながら階段を駆け上る。
 ヒロは必死にマキを追う。階段を上ればヒロたちの教室はすぐそこだ。この時間にすでに教室に来ている物好きな級友たちに、せっかくアキにもらったチョコレートを見咎められたくはない。
 だが、マキは一年生の教室がある三階を通り越してさらに階段を駆け上がる。しめたとヒロは思った。三階の上は屋上しかない。その屋上に出るドアは、いつも施錠されていて出入りできないようになっている。袋小路だ。
 案の定、マキは屋上ドアの前で立ち往生していた。
「よーし、もう逃げられないぞ、マキ」
 ヒロは階段をふさぐ。マキが素直に捕まってくれるとは思わないが、ここから逃げようと思えばドアをぶち破って屋上に逃れるか、ヒロを跳び越えて階段を逆戻りするしかない。いくら彼女がお転婆でも、そんなハリウッド映画ばりのアクションは出来ないだろう。
「さあ、早く返せよ」
「やだ」
「絶対逃がさないぞ」
「逃げる気なんてないもん」
 マキは振り向いて意地の悪い笑みを向ける。
「ここなら誰も来ないから、これ開けよう」
「はい?」
「ヒロだって、どうせ家に帰るまで待ちきれないでしょ。だから、さっさと開けようよ」
「なんでだよ。僕がもらったもんなんだから、僕の好きなときに開ける」
 マキは笑みを収め、ふんぞり返るように顎を突き出した。
「ヒロ。言っておくけど、あんたには二つの選択肢しかないよ。ここで私が見てる前でヒロが開けるか、ヒロが見てる前で私が開けるか」
「ひどい二択だな」
 いくら抗弁してみても、肝心の小箱がマキの手の中にある以上、ヒロには選択の余地がないようだった。ヒロにとって、記録と記憶に残すべき決定的瞬間をこんなところで迎えるのは気が向かなかったが、仕方がない。
「わかった、僕が開ける」
「そうこなくちゃ」
 どうせ、マキが言うとおり家に帰るまで待ちきれなくなりそうな気もしていた。
 ヒロはマキから小箱を受け取ると、包み紙を破かないようにゆっくり開く。
「あんたって、そういう変なとこで細かいよね。そんなの破いちゃいなよ」
「頼むから、黙ってて」
 包み紙を開いた中身は薄いスチール製の小箱で、メーカーや店名などは書かれておらず、百円ショップか雑貨屋あたりで買った物のように見える。
 ヒロの胸は高鳴った。安っぽい箱でがあるが、わざわざ箱を買ってきてチョコを詰めたということは、中身もオリジナル、つまり手作りである可能性が高いように思えた。
「これは来たね」
「何がよ?」
「手作りチョコの匂いがしてきたよ」
「手作りチョコとそうでないチョコの匂いを嗅ぎ分けられるんだ? 鼻がいいね」
 マキがおどけてわざとらしく鼻を鳴らして匂いをかぐ。
「グダグダ言ってないでさっさと開けなよ。私が開けちゃうよ?」
「いーや、僕が開ける」
 ヒロは箱のフタに手をかけ、一呼吸を置いてから一気にフタを外した。
 中身は、一口サイズのチョコレートの山だった。二センチほどの角形のチョコレートで、表面にはアルファベットが刻まれ、その一つ一つがご丁寧にセロファンで包まれている。実に凝った仕事だ──と言いたいところだが、何のことはない、よくスーパーなどでお徳用として大きな袋に詰められて安い値段で売られている、アレである。
 マキはプッと吹き出すと、遠慮のかけらもない声でけらけらと笑い出した。
「なにこれ、これがバレンタインチョコ?」
「確かにチョコレートであることには間違いないけど……」
 ヒロの半ば呆然とした声に、マキはますます面白がる。ひとしきり笑い転げた後、声に皮肉を込めた。
「どう見てもこれ義理チョコだよね。賭けは私の勝ちだね」
「何の賭けだよ?」
 ヒロが尖った声で聞き返す。
「お姉ちゃんがヒロに手作りチョコをあげるかどうか。指切りしたでしょ、忘れたとは言わせないよ」
「マキの目にはこれがアキさんのチョコに見えるのか」
「さっきまで、これがお姉ちゃんのだって言い張ってたのはあんたでしょ」
「僕の見当違いでした。だから、これは断じてアキさんのじゃありません」
 ヒロはあっさりと持論を引っ込めた。こんなのがアキのチョコであってたまるものか。
「じゃ、これ誰のよ?」
「僕の方が知りたい」
「他に何か入ってないの?」
 言いながらマキは箱をひっくり返し、広げた包み紙の上に中身をぶちまけた。人がもらったプレゼントに対して随分とぞんざいな扱いだが、中身が中身だけにヒロも咎める気は起きなかった。
 一口チョコの山が床になだれ落ち、最後に一枚、小さなカードがひらひらと舞い落ちた。
「何か出た」
 ヒロよりも一瞬早くマキがカードを拾い上げ、ヒロも身を乗り出して覗き込む。
 メッセージカードのようなもので、印刷された丸文字でこう書かれていた。
『いつもあなたを見つめる女の子がいることを忘れないでください』
 二人は顔を見合わせる。意味深ぽいメッセージだが、その女の子とやらがどこの誰だかはどこにも書いていない。ヒロはマキの手からカードを奪い取り、念のためにカードをひっくり返したり、わざわざ光を透かして見てみたりもしたが、手がかりのようなものは無かった。
「これだけか……?」
「それだけだね」
 箱と包み紙をしつこく調べたマキが言う。
「よかったね、ヒロ。いつも見つめててくれる女の子がいて」
 マキがなぜか不機嫌そうな棒読み口調で言う。
「どこから見てるんだ?」
「そのへんの物陰じゃない?」
「奥ゆかしいってやつか?」
「一歩間違えばストーカーだけどね」
 ヒロは思わず背筋が寒くなって辺りを見回す。
 残念ながらそれらしい女の子は見つけられず、代わりに階下から聞こえてくる話し声が増えていることに気づいた。
「やばい、人が増えてきたな」
「そろそろ教室に行った方が良さそうだね」
「犯人捜しの続きは放課後にするか」
「チョコあげて犯人呼ばわりされる女の子、かわいそう」
 相も変わらず軽口を叩きながら、二人は階段を下りていった。

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