性格も容姿も異なる十三歳の少女たちが奏でるバレンタイン協奏曲

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バレンタイン協奏曲

前奏

 今日最後の授業が終わってからも、志麻はしばらく席を立たず一人で佇んでいた。いつもなら速攻で帰宅して遊びに出かけるか、放課後の教室で友人たちととめどない会話を楽しんでいるのだが、今日はそのどちらもしていないのは志麻が掃除当番だからだ。
 では、なぜさっさと掃除に取り掛からないのかと言えば、掃除をする気が無いという一点に尽きた。もっとはっきり言えば、掃除当番をサボって帰る気でいたのである。そのためには学級委員長という手強い敵があり、志麻は教室を眺め脱出する機会を伺っていた。
「よしっ」
 マジメ君の委員長はいない。機は熟したと判断し、志麻はカバンとコートを抱えて一目散に教室を飛び出した。
 その瞬間、廊下から声が飛んだ。
「あっ。おい、志麻。おまえ、今日掃除当番だろ」
 振り返るまでもなくわかる、委員長の声だ。
 志麻は硬直したように足を止める。が、立ち止まっていたのはほんの数秒だった。意を決すると、そのまま振り向くことなくロケットスタートで駆け出した。
「あ、志麻、廊下走るな! つーか、掃除当番!」
 志麻は逃げながら親友の真菜と美朱を見つけて声を上げた。
「真菜、美朱! 逃げるよ!」
「え? あ、ちょっ、私ら巻き込むな!」
 掃除当番ではない真菜と美朱は何も逃げる理由は無いのだが、暴走列車のような志麻の勢いと、律儀に廊下を歩きながら志麻を追う委員長の姿に押されて、二人も一緒に走り出した。
「そこの三人、廊下を走るなー!」


「あー、勘弁してよ。週明け早々、絶対呼び出し来るよ、これ」
 息を切らしながら真菜は愚痴をこぼす。歩いて追ってくる委員長は軽く振り切って昇降口に逃げ込んだのだが、廊下を走っているところを生活指導の先生に見つかって、今度は校門を出るまで全力疾走するハメになったのだった。
「志麻はいつものことだからいいけど、私と美朱まで巻き込まないでよね」
「いつものことは余計なお世話。だいたい、真菜が今日はあんまり時間が取れないって言うから、決死の覚悟で脱出してきたんだって」
「仕方ないでしょ。今日は家庭教師が早い時間に来るって言うんだから」
「家庭教師なんてサボっちゃえば?」
「ヤだねー」
 真菜はにべもなく手を振る。志麻は諦めて小さな息をついた。家庭教師との勉強にあまり気が進んでいないようなのに、真菜は決して家庭教師を袖にしない。
「真菜ちゃんは真面目だからねぇ」
 軽薄なやり取りを交わす二人から半歩ほど遅れて歩く美朱が、真菜のフォローを出す。おずおずと言った感じでしゃべり出すのは、美朱の性格だ、
「真面目って言うほどでもないけどさー。せっかく高いお金払ってるんだから、最大限に活用しないと損でしょ」
「高いなら家庭教師なんてやめればいいじゃん」
「無理な相談だね」
「まあ、いいや。とりあえず、何があっても今日中に買い物だけは絶対に済ませておかないとね」
 志麻は燃えるような闘志を漂わせて二人を交互に見つめる。
「なんたって、明日はバレンタインデーなんだから!」
「志麻ぁ。大事なイベントだとは思うけど、そんなに気合を入れるものでも無くない?」
「ダメだよ、真菜。そんなんじゃいつまで経っても彼氏なんかできないよ。今年は失敗は許されないんだから」
 拳まで握り固め始めた志麻に、真菜と美朱は苦笑いするしかなかった。
「小学生の間は残念ながら彼氏を捕まえることはできなかったけど、あたしらも中学生になっちゃったからには何が何でも彼氏をゲットすんのよ」
「相変わらず熱いねぇ。でも、気合いを入れれば彼氏ができるってものじゃないでしょ」
 何かと熱い性格の志麻に、正反対にいつも冷静な真菜が応じる。
「なに言ってんの、真菜。あんたはクール過ぎんの。中学に入ってもう一年が経とうとしてんだよ。このバレンタインには何とかしないと。処女が許されるのは小学生ま──」
「おっと、色々な意味で危ない発言は控えなさいね」
 危険を察した真菜が素早く志麻の口を封じた。
 二人のマシンガントークがわずかに途切れた隙を狙って、美朱がゆっくりと口を挟む。
「でもさぁ、志麻ちゃん。バレンタインのプレゼント、別にあの店で買うことはないんじゃないかなぁ」
「ダメダメ。男どもの心を動かすにはね、どこでも買えるような有名メーカーの物より、苦労して探しました、みたいな感じのマイナー製品の方が効果があるんだよ。最高のプレゼントで男のハートを鷲掴みにしないとね」
「で、でもぉ……」
「諦めようよ、美朱。志麻が一度言い出したら聞かないよ? それに、平凡なプレゼントじゃ相手の印象に残らないっていうのには私も賛成だし」
「そういうこと。さあ、行くよ」
 全く気が進まない様子の美朱を無理矢理引きずるようにして三人がやってきたのは、帰り道の途中にある小さな洋菓子屋だ。あまり客が入っている様子は無いが、三人は学校の帰り、よくここに寄って買い食いをしている。このあたりでは古い店で店舗は少し野暮ったいが、味は文句無く美味しいし、気のいい店員が時々サービスしてくれたりするので、今では三人のちょっとしたマイブームになっていた。
「こんにちはー」
 志麻が元気な声を上げながら店のガラス戸を開ける。そのガラス戸には、「バレンタインチョコあります」という毛筆の張り紙が貼られていた。美味しいのに客が入らないのは、ここらのセンスにあるんじゃないかと辛口の真菜は薄々思っている。
「やあ、いらっしゃい」
 暇そうにしていた馴染みの若い男性店員が明るい声を上げる。
「今日はお持ち帰りかい? それともここで食べていく? 客が来なくて暇なんだ、食べていくならコーヒーごちそうするよ」
「ホント? やった、食べてく食べてく」
 店の片隅においてあるテーブルに喜んで向かう志麻を、真菜が引き留めた。
「ちょっと志麻。今日は自分の買い物じゃないでしょ。それに、のんびり食べてる暇も無いんだよね」
「あ、そっか」
 用件を思い出した志麻は仕方なく引き返す。ショーケースにいっぱいのお菓子を前にして今にもお腹が鳴りそうだが、真菜だけ除け者にするわけにはいかない。
「実は、今年のバレンタインデーはおにーさんとこのお菓子を使うつもりなんだ」
「おっ、バレンタインのプレゼントかい? 嬉しいなぁ。うちの商品を使うんなら、みんなの恋は成就したも同然だね」
 店員は調子のいいことを言い、三人をレジ横のショーケースに案内した。いつもは季節物やオススメ製品を並べている一番目立つケースを、今はバレンタイン向けのチョコレート製品の展示専用に使っているらしい。手作りしている小さな店だけにもともと品揃えはそれほど多くないのだが、この時期はさすがにチョコレート製品に力を入れているようだ。
「あたし、これ」
「まいど」
 店員はチョコレートケーキを箱に詰めながら、残りの二人に目を向ける。
「お二人さんはどうする?」
「私はそっちの生チョコにします」
「あいよ、生チョコね。君は?」
 にこやかな店員に見つめられて美朱はとっさに目を伏せる。
「あの、えーと、すみません、私はいいです……」
「え、美朱、買わないの?」
「ちょっとちょっと、美朱」
 志麻が眉をひそめてうつむいた美朱の顔を覗き込む。
「ここまで来て買いませんって言うのは無いよ。みんなで今年のバレンタインは絶対彼氏ゲットしようって言ったじゃん」
「そうだよ。チームワーク乱すなんて美朱らしく無いよ?」
「でも……」
「まあまあ、二人とも」
 ここに至っても笑顔を崩さない気のいい店員が、険悪になりかけた三人の間に割って入る。
「ケンカとか無理強いは良くないよ。買ってくれれば嬉しいけど、ほかにプレゼントを買う当てがあるんならムリにうちで買うことは無いさ」
「うーん、おにーさんがそう言うならいいけど」
「それに俺が見たところ、彼女はひょっとしたら手作りのプレゼントをあげたいんじゃないかな」
 志麻と真菜は驚いて美朱を見る。
「そうなの、美朱?」
 しばらく黙りこくっていたが、美朱は恥ずかしそうに小さくうなずいた。
「なんだ。それならそうと言ってよ。そうか、手作りという手もあったなぁ」
「さっすが美朱、手作りとは斬新なアイデアだね」
「いや、斬新ではないでしょ……あ」
 志麻にツッコミを入れた拍子に店の壁にかかった時計が目に入り、真菜はわずかに顔色を変えた。
「ごめん。もうすぐ家庭教師が来る時間だ。悪いけど、先に帰るね」
「えー、もう?」
 真菜は先に会計を済ませると、サービスにと言う店員から生チョコを一つ余計にもらって、改めて礼を言って駆けていった。
 志麻も会計のときにケーキを一人分余計にもらって箱に詰めてもらい、申し訳ないので自分の分としてショートケーキを一つだけ買った美朱にも、店員はさらに一つオマケとしてつけてくれた。
 告白がんばって、と気を回し過ぎる店員に礼を言って店を出ると、志麻は相変わらずの熱い目で美朱を振り返った。
「これで準備は万端、後は明日の本番を迎えるだけだね」
「う、うん、そうだね」
「お互いにがんばろう。明日はあたし、朝イチで突撃かけるんだ。成功したら電話するよ」
 そう言って志麻は、スポーツ大会にでも出場するかのような闘志と気迫をみなぎらせて帰っていった。その後ろ姿を見送った美朱は、自分はいつにしようかと店を眺めながらしばらくその場で考えていた。

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