苦い胸の痛みを乗り越えて少女が勇気を振り絞る

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バレンタイン協奏曲

第二楽章・前

「何やってんだろね、私……」
 真菜は溜息を吐き出しながら小声でつぶやいた。それなりに思い描いていた構想が、その導入以前の段階で脆くも崩れ去ってしまった。
 どこかでパーッと憂さ晴らしをしていきたいところだが、このよく目立つピンク色のラッピングをした包みを持って街に繰り出すのも格好が悪い。かと言って、このままトボトボと帰途に着くのも虚しすぎる。
 いつもなら、困ったことがあれば志麻や美朱に相談するなり愚痴をこぼすなりするところだが、さすがに今日だけはそうもいかない。今日は彼女たちも自分の恋に挑戦中だ、何かと忙しいだろうし、愚痴や失敗談など聞かせては縁起が悪い。
 いろいろと考えた挙げ句に、真菜はいつものお菓子屋にやってきた。店員に愚痴を聞いてもらいながらヤケ食いをしよう。
「こんにちは」
 相も変わらずあまり客が入っていなそうなガラス戸をくぐると、いつもの店員が元気な声で迎えてくれる。
「おや、いらっしゃい。今日も買い物かい?」
 言って、店員はすぐに真菜が手にしている包みに気づく。
「あぁ、これからプレゼントを渡しに行くんだね」
「残念、ハズレです。フラれました」
 真菜が肩をすくめてみせると、いつも笑顔を絶やさない気のいい店員が珍しく眉根にしわを寄せた。
「受け取ってもらえなかったの?」
「それ以前です」
 真菜は小さく肩をすくめて簡単に事情を話す。
 真菜は今日、真菜の家庭教師を務めている大学生・啓治が住むアパートへ向かっていた。少し野暮ったいけど知的で穏和な啓治のことは真菜も以前から気に入っていて、バレンタインデーという年に一度のビッグイベントを機に告白するつもりでいた。
 その道中、真菜は街中で見つけてしまった。綺麗な女性と肩を並べて歩き、その女性とともに彼の車で走り去ってしまった当の啓治の姿を。真菜の恋は、告白する前に儚くも破れてしまったのである。
「そんなわけで、告白するにも至りませんでした」
「あぁ、それは……残念だったね」
「どうも。でも、同情とか慰みの言葉ならいりませんよ?」
 真菜がさりげなくキラーパスを出す。そのパスをきっちり受け取った店員は、得たりといった表情で笑みを浮かべた。
「形がない物より形がある物ってわけだね。オーケー、今日は俺のおごりだ。好きなの注文していいよ」
「さっすが、わかってますね」
 真菜は店員の勘の良さを喜びながらショーケースに飛びついた。
 さて、何を食べたらいいだろうか。ざっと見回した感じ、レギュラーアイテムはすべて食べ尽くしたように思える。しかし、ここのお菓子は何度食べても食べ飽きないし、時折、限定物や季節物のお菓子が売られていたりするのでついつい店に足を運んでしまう。
 今の季節限定物は、言うまでもなくバレンタイン製品だ。ヤケだ、あのチョコレート関連は全部食べ尽くしてやろうか。
 そこまで考えた真菜は、ふと思い立って店員を見た。バレンタインチョコの供給という形で恋のキューピッド役を背負っているこの店員は、自分自身はチョコをもらっていたりするのだろうか。この手の店は女性客が多いだろうから、出会いの場には事欠かない気がする。
「ところで、おにーさんの方のバレンタインはどうなってるんですか?」
「あぁ……おかげさまで売り上げは上々だよ。今年は力を入れただけあったね、うん」
「いやいや、そういう商売の話じゃなくて。おにーさんの個人的な話です。チョコはもらえてますか? というか、わかっててボケてません?」
「気のせいだよ」
 真菜がやんわりと睨んでも、いつも飄々としている店員はしれっと受け流す。
「残念だけど、収穫は無しだね。去年もゼロだったし、今年もゼロ確定じゃないかな」
「へぇ。おにーさん、モテそうなのにね。つきあってる人とか、本当にいないんですか?」」
「いないよ。この仕事って周りからはノンビリしてるように見えるかもしれないけど、お菓子作ったり、店番したり、次の日の仕込みをしたりして忙しくてね。女の子とつきあう暇がないんだよ」
「ふーん。結構、大変なんですね」
 などと当たり障りのない言葉を言いながら、この人も自分と同じく孤独で寂しいバレンタインを過ごしているのだと思った瞬間、真菜の心の中に一つの考えが芽生えた。
 自分と、この店員という組み合わせはどうだろう。気さくで優しくて、しかも機転が利く。会話も彼とは良く噛み合う気がするし、まさにフィーリングがピッタリというか、はっきり言えば好みの男性ではないだろうか。おまけに背が高くて見てくれも良く、恋人として申し分ないように思えた。
 一度そう考えてしまうと、もうそれしか考えられなくなってしまう。真菜は心臓が高鳴るのを感じながら、緊張で乾いた唇を一舐めしてから口を開いた。
「あ、あの、おにーさん」
「うん?」
「良ければ、私とお付き合いしてくれませんか?」
 真菜の全力を振り絞った渾身の告白に、店員はほんの一瞬だけ驚いたような顔を作っただけで、意外にあっさりと頷いた。
「いいよ」
「ほ、本当ですか?」
「うん、本当さ。ただし」
 店員が、真菜が持っているチョコの包みを指さす。
「そっちの恋に、君自身が決着をつけたらね」
 穏和な笑みを浮かべて言う店員の言葉に、真菜は戸惑った。
「決着って……とっくに決着は付いてますよ」
「本当に? まだ告白もしてないのに?」
「だって、相手は彼女持ちなんですよ?!」
「相手に恋人がいたのはショックだと思うけど、だからと言って告白しなくてもいいという理屈には必ずしも繋がらないだろ?」
「結果が分かっている勝負に突っ込むことに、意味がありますか」
「そいつは、君が勝手に決めつけた結果でしょ。君がその男のことを本気で好きなら、彼女から男を分捕るくらいのことを考えてもいいんじゃないかな。他の男を探すのは、できることをやった後でも遅くないと思うよ」
 真菜は胸が痛んで口をつぐむ。
 店員の言葉は確実に真菜の心に波紋を投げかけた。真菜はチョコの包みに視線を落としながら揺れる胸の内を見定めていたが、やがてそれが静かに収まり、自分の心の底に映った物を見出して真菜は顔を上げた。
「……わかりました」
「わかってくれた?」
「よくわかりました。私がおにーさんにフラれたってことが」
「そんなこと、一言も言ってないよ」
「今のおにーさんの理屈で言えば、おにーさんが本当に私のことを好きなら、私に好きな人がいたって構わずに私を分捕ろうとするはずでしょ。そうしないのはなぜですか?」
 店員は柔らかい笑みを浮かべたまま何も答えない。真菜も、答えを求めるつもりはなかった。
「おにーさん、ごめんなさい。ごちそうしてもらうのは今度にします」
「帰るのかい?」
「いえ、やっぱりアタックしてきます。当たって砕けろです」
「うん、それがいいね」
「これでダメだったら、改めて奢ってもらいに来ます」
「オーケー、奢るハメにならないよう祈ってるよ」
 真菜は店員に深く頭を下げ、店を出て駆け出した。
 多分、店員は気づいたのだろう。真菜が店員のことを、啓治の代わりとして見ていることを。それでも店員は怒るどころか、真菜にすべきことを提示してくれたのだ。フラれてしまったのは本当に残念だけど、この恩は一生忘れないようにしよう。真菜はそう思った。


 啓治の部屋の前までやってきた真菜は、玄関ドアの脇にもたれかかった。啓治が帰ってきたらまず何と言おう。彼女連れで戻ってきたときはどうしよう。告白するときの言葉は。啓治のリアクションに対する反応は。何を想像してもおかしくて楽しくて、つい笑い出してしまう。
 そのとき、コートのポケットの中で携帯電話が鳴った。開いて液晶画面を確認すると、志麻からの電話だった。多分、これから突撃すると知らせてきたのだろう。いや、志麻のことだ、もうとっくに突撃を終えていて、その結果報告かもしれない。
 真菜は液晶を眺めて色々想像しつつ、心の中で志麻に謝りながら携帯をサイレントに切り替えた。志麻には悪いが、今は他人の恋話を聞く気にはなれなかった。
「真菜ちゃん?」
 突然、玄関のドアが開いた。彼女とお出かけ中のはずの啓治が中から顔を出し、真菜は飛び上がった。
「せ、先生?!」
「やっぱり真菜ちゃんだ。聞き覚えのある着メロだと思ったよ」
 啓治が人なつっこい笑みを見せる。
「先生いたんですか?」
「うん、いたよ。どうして?」
「だ、だって、少し前に、その、女の人と車に乗ってるの見かけたのに」
「あれ、よく見えたね。急に姉貴から電話かかってきてさ、彼氏んとこにチョコレート届けるから家まで送ってけって言われて、車で送っていってたんだ。姉貴の恋バナに付き合うのも馬鹿らしいから、送ったらとっとと帰ってきたけどね」
「お姉さん……そっか、お姉さんか」
 真菜はどっと脱力するのを感じて、両手で顔を覆った。泣いたのではない。安堵の余りに、だらしない顔になりそうで怖かったのだ。そんな顔を、啓治には見せたくない。
「真菜ちゃん?! どうしたの、何があったの?」
 案の定というべきか、啓治は誤解したようだった。真菜は両手で顔を叩いて気合いを入れ、笑顔を作って啓治を見た。
「泣いてるわけじゃないですよ」
「な、なんだ、そうか。ビックリした」
 かなり本気で心配してくれたらしい啓治の様子に、真菜は申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちでいっぱいになりながら、チョコレートの包みを取り出した。
「実は、私から先生にプレゼ」
「わっ、ひょっとしてバレンタインチョコ?」
 包みを見て啓治が輝くような笑顔を見せる。思わず見とれてしまいそうな素敵な笑顔だったが、はっきり言ってムードが台無しだ。真菜は思わず頭を抱えそうになった。
「……あー、先生、ちょっと空気読んでください。こういうときはせめて、受け取って初めてビックリするくらいの演技をしてくれないと」
「そ、そうか、ごめん」
 啓治は恥ずかしげにうつむくが、すぐに思い出したように顔を上げた。
「あ、立ち話でごめんね。よかったら、中に入らない?」
「お邪魔じゃないなら」
「全然。大歓迎さ。散らかってるけど、どうぞ」
「それゃ、おじゃまします」
 真菜が初めて入る啓治の部屋は、いかにも男の一人暮らしらしい雑然とした部屋だった。それでも汚らしい感じがしないのは、ゲームや雑誌などいろいろと物が転がってはいても、ゴミが落ちていたり服が脱ぎ捨ててあったりといったことが無く、いわば節度ある散らかり方だったからだ。
「ごめんね、散らかってて。飲み物入れるから、適当に空いてるところに座って」
「あ、先生、その前に」
「なに?」
「これ、改めて渡したいんですけど」
 真菜がチョコの包みを差し出す。
「私から先生に、バレンタインプレゼントです」
「ありがとう、真菜ちゃん」
 啓治が嬉しそうに包みを受け取る。不器用だが実直な人だ、本音が顔に出る。啓治が本気で嬉しがっているのがわかり、真菜も嬉しくなる。
 だが、そんな正直者の啓治の表情に、ほんのわずかに当惑の陰が落ちるのを、真菜は見逃さなかった。真菜は嫌な予感がして思わず胸を押さえる。またか、さきほど味わったばかりの胸の痛みを、また味わわなければいけないのか。
「ねえ、真菜ちゃん」
「なんでしょう」
 言った自分が驚くほど、真菜の声は固かった。
「これは僕の自惚れなのかな?」
「え?」
「単に君が僕にチョコをくれるつもりなら、昨日、僕が君の家に勉強を教えに行ったときでも良かったわけだよね。でも、君はこうしてバレンタインデー当日になってから、わざわざ僕の家まで届けに来てくれたわけだ。それって、その、君は僕のことを」
 啓治は赤面し、徐々に声が小さくなる。真菜は胸に生まれつつあった不安が消し飛び、自然と微笑んでいた。
「好きです」
「……えっ?」
「私、先生のことが好きです。本気です。だから、チョコをあげるのは絶対に今日にしたかったんです」
「ま、真菜ちゃん……」
 啓治の顔はすでに真っ赤だった。啓治は何かを言おうとして口を開き、考え直したように口をつぐむ。それを何度か繰り返した後、ようやく啓治の口から言葉が紡がれた。
「じ、実は僕も真菜ちゃんのことが」
「先生」
 真菜はピシャリと言って啓治の言葉を封じる。啓治は驚いて目を見開いた。
「先生の言葉を聞く前に、一つだけ先生に話しておくことがあります」
「な、なに?」
「私、先生のことが好きです」
 たった今聞いたばかりの言葉をもう一度聞かされて、啓治は照れと疑問の表情を同時に浮かべた。この表情が後でどう変わるか想像しながら、真菜は言葉を続けた。さっきの啓治の表情と言いかけた言葉から、啓治の気持ちは分かった。だからこそ、これだけは絶対に言っておかなければならないことだった。
「ずっと前から好きでした。なのに私は、ほんの短い間だったけど、別の男の人を好きになりかけました」
 啓治は顔色を失う。
「それでも、先生は私のことを好きと言ってくれますか?」
「真菜ちゃん……」
「言葉はいりません。嫌いになったのなら、そのチョコをゴミ箱に入れてください。私みたいな女でも好きだと思ってくれるのなら」
 真菜は凛と姿勢を正す。
「キスしてください」
 啓治は驚いて真菜を見て、そして次に手元のチョコの包みを見た。啓治の胸には複雑な気持ちが渦巻いているようで、真菜にも今の啓治が何を考えているのか読めなかった。
 しばらく考え込んでいた啓治は、包みを手にしたまま踵を返して真菜に背を向ける。真菜は小さく息をついた。仕方がない、これは自業自得だ。
 だが、啓治は動かなかった。しばらくその場で立ち尽くしていたが、啓治は包みをテーブルの上に置くと、再び踵を返して真菜に向き直る。目を見張る真菜の視界いっぱいに啓治の顔が近づき、二人の唇が重なった。
 真菜はうっとりと目を閉じる。キスの味や感触などを感じる余裕はなかったが、啓治がキスをしてくれているというだけで幸せいっぱいだった。
「こんな感じで良かったかな」
 唇を離して啓治が言った。唇が離れた後も真菜はしばらく目を閉じていたが、ゆっくりと目を開くと静かに首を横に振った。
「ダメですね」
「え」
「もっといっぱいしてください。私がいいって言うまで」

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